「君の名は。」の劇場公開から1年以上が経ち、初のテレビ放送も終え、世間の興味も薄れているこの時期に、なぜ今更「君の名は。」について語るのか。
その理由は、私が着目していた部分が周囲の人達と大きく異なっているからです。
私が「君の名は。」について気になる点は2つあります。
1. なぜ瀧と三葉が入れ替わる時期が3年ズレてしまったのか?
2. 神社での舞のシーンがロトスコープのような不思議な感覚。
今回の記事は、劇場公開から1年以上経っているのでネタバレだらけです。
「君の名は。」をまだ観ていない方は、この記事を読む前に映画をご覧ください。
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3年のズレの理由
「君の名は。」を観た人に、なぜ瀧と三葉が入れ替わる時期が3年ズレてしまったのか?という質問をすると、ほとんどの人がはっきりと答えられない。
三葉が巫女を務める宮水神社の神様は古い言葉で「結び」と呼ばれていた。
これは「結び」を司る神様だということが推測できます。
他者との結び、食することでの結び、親から子への結び、未来と過去をも結ぶ、とても大きな能力を司る神様。
その神様が巫女である三葉を遣いとして、糸守町を彗星の落下から救うために、「結び」の力で瀧と三葉を入れ替えたわけです。
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それなら、彗星が落下する前の同じ時期に瀧と三葉を「結び」の力で入れ替えて、事前に対処すれば問題なく済んだのではないだろうか。
なぜ3年のズレが生じてしまったのか?
その答えは、三葉が宮水神社の鳥居の下で「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫んだからです。
「来世は」という願いは叶えられ、彗星の落下が原因で三葉がこの世にはいなくなってしまった時期(来世)に、東京の瀧と「結び」の力で入れ替わったということになります。
実は、こんな重要なシーンなのに多くの人が印象にないと言います。
それは三葉が宮水神社の鳥居の下で叫ぶ前に、四葉の提案で巫女の口噛み酒をたくさん作って東京行きの資金にするというコミカルなシーンがあったので、観客は心を緩めて油断してしまうんです。これも意図的かもしれませんね。
こんなややこしい展開になってしまった原因は、200年前の「繭五郎の大火」でお宮や古文書が焼けてしまい、巫女でありながら神社に何の神様が祀られているのか、はっきりと分からなくなってしまったからです。
「繭五郎の大火」は、架空のお話ですが、200年前ということは江戸時代後期ですね。
草履屋の山崎繭五郎の風呂場から火が出て、宮水神社周辺は丸焼けになってしまったという火災です。
「君の名は。」の物語の展開で、瀧と三葉がすれ違ってしまうのは、全て繭五郎のせいだと言っても過言ではない。
三葉が宮水神社に祀られているのが、どんな神様なのか分かっていれば、もっと物事がスムーズに済んだはずです。
でも、繭五郎じゃしょうがない。だって名前が「繭五郎」なのだから、なんとも憎めない名前だ。
それに江戸時代の草履屋ですから、とても貧しい生活をしていたのでしょう。火事は不運だったに違いないのだ。
神社での舞のシーンの不思議な表現
三葉と妹の四葉が口噛み酒を作る前に、神社で舞を舞うシーンがあります。
私は、このシーンを観た時に頭の中が真っ白になるくらい衝撃を受けました。
明らかに生身の人間が舞を舞っている映像を元に、アニメーションが作られているのが分かったからです。
アニメーションの技法で「ロトスコープ」という表現があります。
これは昔、ディズニーでよく使われていた技法で、役者に演技をさせた映像を元に、その動きをキャラクターの動きとしてトレースする表現方法です。
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「君の名は。」の舞のシーンでも、全く同じ技法とは言えませんが、ロトスコープに似たような技法で作られていると推測できます。
アニメーション制作において、ロトスコープを使用することは、特に珍しいことではありません。
それにもかかわらず、私が舞のシーンで衝撃を受けた理由は、ロトスコープのような技法を映画全編ではなく部分的にワンシーンだけ使用したからです。
ロトスコープのように人間の映像を元にアニメーションを制作すると、まるでアニメのキャラクターが生身の人間になったような、急に血がかよったような、生々しい動きになります。
ですから、ディズニーのように全編でこの技法を使用することはあっても、映画のワンシーンだけロトスコープのような技法を使うと違和感が生じるので、部分的に使用することはあまりありません。
ロトスコープの部分的な使用は、アニメのキャラクターが急に生身の人間のような生々しい動きになるので、気持ち悪く感じるのが一般的に言われる感覚です。
「君の名は。」では、そんなアニメ表現ではタブーとも言えることに挑戦したのです。そもそも、アニメーションの表現でやってはいけないことなどない。
巫女というのは、氏神である宮水神社の神様と、氏子である糸守町に住む人達を結ぶ役割があります。
巫女が舞ってるシーンは、今まさに神と人との「結び」儀式が行われている場面です。
神でもなく人でもない、巫女という立場の三葉と四葉。
このような複雑な心情を描くために、あえて違和感のある生々しい、ロトスコープに似たような技法を選択したのではないだろうかと推測します。
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≪この記事を書いたライターさんのプロフィール≫

美大卒学芸員のアート系ライターです。
以前は、マニアックな古い映画ばかり観ていましたが、ある日、突然「いまを生きる」のだ!と思い立ち、新しい映画もちょいちょい観るようになりました。
ここでは最新の話題作を中心に映画レビューを書かせていただいてます。
好きな映画:タルコフスキーの『ノスタルジア』、ジュネ&キャロの『デリカテッセン』、ベネックスの『ディーバ』、『不思議惑星キン・ザ・ザ』『カリガリ博士』『逆噴射家族』『博士の異常な愛情』…良い映画が沢山あるので全部書ききれない。